駅のある町 東大泉・大泉学園

明治24年(1949年)、現在の東大泉地区にあった3つの村が合併して大泉村になりました。
(当初は「小泉」と書いて「おいずみ」と読んでいた。のちに「大泉」に改変。)
大正13年(1924年)に、大泉地区を走る西武線の駅を「東大泉」と命名されました。
その後、関東大震災以降の郊外住宅地への旺盛な需要に応えて、1924年から大学等の高等教育機関(大泉学園都市計画では東京高等師範学校(現筑波大学)若しくは東京第一師範学校(現東京学芸大学)を予定)を誘致し、学園都市として開発する計画でした。

昭和8年(1933年)3月1日 – 大泉学園駅に改称されましたが、東京商大の教授たちはみな、「中央線沿線がいい」ということになり、大学もないのに駅名だけが残ることとなってしまいました。よって、この近くに同名の学校は存在しませんが、後に町名由来の都立大泉学園高等学校(現在は廃校、後身校は都立大泉桜高等学校)、練馬区立大泉学園中学校・大泉学園小学校・大泉学園緑小学校・大泉学園桜小学校などが設けられています。

 

 大泉学園駅

大泉学園駅(おおいずみがくえんえき)は、東京都練馬区東大泉にある西武鉄道池袋線の駅。
大正13年(1924年)に、大泉地区を走る西武線の駅を「東大泉」と命名。
昭和8年(1933年)3月1日 – 大泉学園駅に改称。
昭和58年(1983年)11月12日より橋上駅舎を使用。
1面2線の島式ホームを持つ地上駅

1番線: 池袋線 石神井公園・練馬・池袋方面
有楽町線(小竹向原経由) 有楽町 新木場方面
副都心線(小竹向原経由) 渋谷方面
2番線: 池袋線 ひばりヶ丘・所沢・小手指・飯能方面
ホーム・南口・北口共にエスカレーターとエレベーターが設置され、コンコースと結んでいます。北口とコンコースを結ぶエスカレーターは上りのみで、その他は上下方向が設置されています。

 

 我が町、大泉学園

核となる大学誘致は失敗したが、付属学校の誘致に成功し、一帯は引き続き高級分譲住宅地として開発され、その名残が大泉学園町という町名と碁盤の目に整理された区画です。東大泉3丁目は特に高級住宅街として有名です。

現在の東大泉一帯は、江戸時代、旧・武蔵国豊島郡土支田村上組と呼ばれていました。土支田村は大きな村だったため上組(南)と下組(北)に分けられていたのだそうです。

1873年(明治6年)、大区小区制によって上組と下組は分離され、上組は上土支田村と呼ばれるようになりました。

1889年(明治22年)、上土支田村は町村制によって南の石神井村と合併し、石神井村大字上土支田となりました。

さらに1891年(明治24年)、隣村の埼玉県新座郡にあった榑橋村が東京府に編入され大字上土支田と合併し北豊島郡大泉村が誕生しました。

当時、小学校は村ごとに運営されており、一つの村に必ず一校小学校を設置する必要がありました。上土支田の豊西小学校(妙延寺内、現・東大泉3-16)と榑橋村の榑橋小学校(本照寺内、現・西大泉3-11)は、間隔が1km以内と近距離にあり、そこで合併すれば小学校を統合でき、大幅な経費削減が期待できることから、両村は合併しました。合併後、豊西小学校と榑橋小学校は統合され、村の中央部に新たに泉小学校が設置されました。現在の大泉小学校です。

1932年(昭和7年)、東京市編入とともに板橋区(現在の練馬区と板橋区を包含)が誕生し、大泉村は解体。大字上土支田の区域をもって板橋区東大泉町が誕生しました。1947年(昭和22年)の練馬区独立後もそのまま踏襲され、1980年(昭和55年)8月1日、第18回住居表示により東大泉町の一部を土支田に編入、残りの部分に北大泉町のごく一部と旧・上石神井二丁目のごく一部を編入して境界整理し、現行の東大泉一丁目から七丁目までとなりました。

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